病院のマークは、万国共通で赤十字と思われていませんか? イスラム圏では赤十字社のことを赤新月社と言い、病院や救急車には赤の三日月のマークがつけられています。 また、子供の "ままごと" などに用いられる病院のおもちゃなどにも例に漏れず赤の三日月マークがつけられています。
ラマダンとは断食を表す言葉ではなく、イスラム暦における 9 月を意味しています。 その期間は、日の出から日の入りまで喫煙やツバを飲み込むことさえ許されません。 これは飢餓で苦しむ人達などの気持ちを理解しなさいというクルアーン (日本で俗に言うコーラン、イスラム教の聖典 (以下クルアーン)) の教えに基づくものなのです。
イスラム圏のトイレにはトイレットペーパーは用意されていませんが、外国人の多い空港施設や主要ホテルなどには用意されています。 トイレットペーパーの代用にシャワーが用意されています。また、バケツの用意されている所は水を汲み最後に流して下さい。いわゆる手動水洗便所なのです。
イスラム圏では聖日は金曜日です。 私たちの感覚の日曜日がそれにあたります。つまり我々が週末前の金曜日を昔ハナキンと呼んでいたようにイスラムでは木曜日が週末前に当たり、ショッピングセンターや公園などは夜は非常に混み合っています。ハナモクと呼ぶかどうかは定かではありません。
私たちが日常利用する算用数字をアラビア数字と一般に言いますが、イスラム圏で使われる数字は我々の言うアラビア数字とは異なります。 ١٢٣٤٥٦٧٨٩٠ アラビアの数字が元になって西洋で使われた由来です。よく下記のアラビアの数字を見てください。現在の算用数字の由来を感じることができます。 また、イスラム圏では算用数字をインド数字と呼んでいます。
イスラム教の教えを説くクルアーンには重婚が許されると記載されていますが、現実に重婚をしている人は非常に少ないのです。 昔、戦乱の頃は男性が戦場へ行き、奥さんや子供が生活出来なくなってしまい、この状態を打開する為に重婚を許したのです。 現在でも重婚は可能ですが、クルアーンには重婚に値する経済力などを有する者は許可とも記載されています。 また、国際結婚に対してオマーン政府は、基本的には認可していません。 現状、婚姻が認められているケースは稀に見受けられますが、数年に渡る多大な時間と労力と資産が必要です。
イスラム教の教えを説くクルアーンには豚を食べてはいけないと詠っていますが、昔、豚を介する病気が流行したために記載されたのであり、今はそれに当てはまりません。 しかし、現在においても豚を食べてはいけないと禁じ続けられています。 現在なら狂牛病など流行すれば牛を食べてはいけないと記載されることが予測されます。また、一部の商店では異教徒の為にスーパーマーケットの片隅で豚が売られていますが、非常に高価です。
私たちは、横書きする際には左から書きますがイスラム圏でのアラビア語は右から左へと文章を書きます。 問題は、その中に挿入される数字です。数字の部分は左から書きます。具体的に日本語で表現すると下記のようになります。
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このように表記されているのです。 (日本語では例に少々無理がありますが、このように表記されています。)
数珠は、仏教徒だけのものと思ってはいませんか? イスラム教にも、数珠が存在します。 形状は、少々異なるものの正しく数珠 (じゅず) そのものなのです。 イスラム教では、"タスビーフ" と呼ばれるもので男性は日常でも愛用しています。
これはファミリーツリーと通常呼ばれるもので、日本の家系図に相当します。 木の幹から枝分かれする様を家系図として現すところがオマーン流です。
住宅をオマーンで建築する際は、厳しい建築基準審査を受ける必要があります。 窓のデザイン、塗装の色やコンセントの位置など、こと細かく審査されます。 オマーンの住宅が、あるレベル統一されているのは建築基準法に基づいているからです。 オマーンの伝統を守る意味があるのでしょう。
ワディとは涸れ川の意味をなす言葉です。 年間を通じて降水量の少ないオマーンですが、雨が降り続くこともあるのです。 道路の両脇に赤と白の棒状のものが何本か立てられている箇所は、ワディを警告するものです。 大雨やサイクロンが到来した時は、道路が洪水により冠水し画走行不能になる可能性があると警告しています。
レンタカーの項にも記載しましたので重複にはなりますが、オマーンでは、車の洗車が義務づけられています。 洗車しないままで走行をすると罰金が課せられます。
日本の子供たちは、お年玉が貰えるということで正月を待ち望んでいますが、オマーンでもそのような習慣があります。 それはイードです。
アラビア歴の 9 月のラマダンが開けを祝うイードには、親や親戚などから日本のお年玉の様にお金が振る舞われます。